Thomas Hircshhorn トーマス・ヒルシュホーン カンファレンス Maison Populaire

パリの郊外MontreuilにあるアートセンターMaison populaireで行われているグループ展に併せて、Thomas Hircshhornのカンファレンスが行われていたので、参加してきました!

Thomas Hircshhornは、スイスのベルン出身、パリ在住のアーティスト。ヨーロッパを代表するギャラリーChantal Crouselの所属作家、2011年のベネチアビエンナーレ出展アーティスト。パリでは2014年にPalais de Tokyoで行われた«Flamme éternelle»が話題を呼ぶという、とにかくアート好きにとっては雲の上の存在のトークが、無料、、!
今回のテーマは彼のpixelシリーズについてのプレゼンテーション。
視覚的に何らかの共通点がある広告の写真と、インターネットで見つけた画像二つを選び、印刷したものをコラージュして一つの新しいイメージに作り変える。

インターネットから選ぶ画像は、イラク戦争での犠牲者の遺体など、一般的にはピクセルが掛けられるのが望ましい画像である。Thomas Hircshhornは、あえてその隠されるべき部分を晒し、普段私たちが広告として見せられている画像をピクセルで隠す。
コラージュというのも彼にとっては大事な要素。いわく、 自身の創作活動もコラージュから始めたし、現在でもあらゆる製作のベースはコラージュだと言う。
すでに存在しているイメージをつなぎあわせ、全く新しいヴィジュアルイメージを作ることに魅了されているのだとか。
何をpixelate(ぼかす)のかという選択に関心があると言う。何を見せるべきで、何を隠すべきなのか?なぜそれを隠す必要があるのか?という問いは現代社会に生きる私たちにもダイレクトに関わってくる。
もしかしたら、見たくないものは見なければならないものかもしれない。
ピクセルが視界に入ると、鑑賞者はその理由をピクセル周辺から探しはじめる。何かを探す時の視線はただ見るのよりも圧倒的に意図的だろうなというのがわかった。
リアリティとは何か、abstract(抽象)とは何かという問いにもつながる。視覚的にabstractだったとしても、文脈によってそこに”隠されているものが何か”想像するのは容易いことである。
質疑応答の時間にすごく興味深いことを話していた。
女の子が、「作品について、見る人の気持ちや、あなた(Thomas Hircshhorn)自身の気持ちについて考えたことはありますか?」という質問。
(大雑把で概要的な訳ですが)
「私はあなたたちのことを考えて作品を作っている訳ではないんです。自分のやっていることをきちんとクリエイションとして表現すること、もしくは説明したいという欲求があるだけです。あなたたちが、私の作品を政治的だとか、どのように解釈するのかは自由ですが、それは私とは関係がない。」
バッサリ切っているようだけど、アーティストって感じで清々しい。でも疑問が残る答えだなと思った。
モザイクをかけるべき画像って、死体だけではないはずで。性的な画像や、政治的な機密文書など様々な選択があるなかでイラク戦争の犠牲者を選ぶのには視覚的な感覚以外の理由があるのでは?
最近考えている、なぜアートである必要があるのか?という疑問のヒントをもらえた気がした。私たちの社会では、言葉が絶対的優位を持っている。政治でも、行動を起こすこともあるけど言葉を使って伝えようとすることの方が多い。でも、言葉でどんなメッセージを伝えようとも、それは視覚的な表現の強さを超えることはできないのではないか?視覚的表現によって、メッセージの強度が増し、頭を通すことなく感じることができるのではないか?とThomas Hircshhornの話を聞きながら思った。
私は言葉を使うことが好きだけど、すべてを説明したい訳じゃなくて、言葉によって感覚を消化したいと思っている。感覚が先で、言葉はあとで良い。
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«L’AUTRE… DE L’IMAGE À LA RÉALITÉ 2/3 : FACE À L’AUTRE»
2017年4月19日 – 7月1日
Maison Populaire
Métro 9番 Mairie de Montreuil
月-金曜 10:00-21:00
土曜10時-16:30
日曜休館
入場無料
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